2026/3/27
入社のきっかけ
#中途採用
髙橋来実
【大手からベンチャーへ】マイナビを卒業したエンジニアが、アイデアログで見つけた「技術の本質」と「創る手応え」
今回登場するのは、日本最大級のプラットフォームを運営する大手マイナビから、少人数の開発体制であるアイデアログへと転身したエンジニアの木村です。誰もが知る大規模システムの運用・開発という安定した環境を離れ、彼が求めたのは「技術が直接、事業を動かす」という手触り感でした。
インタビューでは、分業化された巨大組織と、一人ひとりが事業の心臓部を担う少人数開発との圧倒的なギャップ、そして大手での経験を武器に「個」として戦うことの真意など、エンジニアとしての本質的なキャリア観について語ってもらいました。
木村さんプロフィール
1993年生まれ 神奈川県出身。
不動産仲介業の営業職を経験した後、エンジニアにキャリアチェンジ。SESでのシステム開発や大手人材広告サイトでデータ分析基盤構築・システム運用保守などを担当。中小規模の広告サイトの開発業務を経験後に株式会社アイデアログに入社。
現在は自社サービスであるレンタルスペース検索・予約サイト「スペなび」の開発リーダーとして、主にフロントエンドの実装を担当しながら、プロダクトマネジメントにも関与する。興味のある技術はReact、Next.js。趣味はサーフィンと登山。
1. 安定した環境を捨て、求めたのは「圧倒的成長」
──マイナビという大規模な開発環境から、あえて少人数のアイデアログへ。エンジニアとして、何を求めての決断だったのですか?
確かに、マイナビでの開発は社会的影響力も大きく、エンジニアとしての環境は非常に整っていました。しかし、組織が巨大で分業化が進んでいる分、一人のエンジニアが触れられる領域はどうしても限定されます。
営業やCSのいる事業部署から課題をヒアリングして設計に落とし込む、いわゆる上流工程を担当していましたが、開発自体はベンダーに依頼していました。調整業務が多くなってしまって技術的に成長している実感も持てなくなって来てしまいました。
サービス規模は小さくなったとしても要件定義、設計、開発、テスト、リリースまでを一通り自分の力で完結できるエンジニアになりたいという理想を追い求めているときに、元々知り合いだったCTOの松川から声を掛けて頂き、アイデアログなら自分の希望を叶えられると思い転職を決意しました。

2. 驚愕した意思決定の速さと、開発の「解像度」
──そのどん底の状態で代表のブログに出会い、自ら起業するのではなく「アイデアログへの入社」を選んだのはなぜですか?
一番のギャップは、企画から実装、リリースに至るまでの圧倒的なスピード感です。マイナビではベンダーに依頼していたのもあり、一つの機能を修正するにも見積もりをしてもらい、工数を確認して関係部署に承認をもらってから修正に取り掛かるというような流れでした。スピード感を持ったリリースというのが難しかったです。アイデアログでは「必要だ」と判断されれば、その日のうちに開発が動き出すことも珍しくありません。
また、開発の「解像度」も全く違います。エンジニアがビジネス上の課題を直接理解し、最適な技術選定を自分たちで行う。余計な調整コストに時間を取られるのではなく、「価値を創ること」に注ぎ込める環境には、エンジニアとしての純粋な楽しさがあります。
3. 「看板」を失い、試されるのは自分の「実力」
──大きな看板を背負って戦うことと、アイデアログで「個」として戦うこと。一番の違いは何ですか?
マイナビにいると、やはり会社の強さというのは実感としてありました。会社名だけで一定の信頼がついてくるし、営業もサービスの認知も、組織の力が土台にある。それ自体は決して悪いことではないのですが、その分、一個人として「自分が事業にどう貢献しているか」という意識は、今と比べると薄かったと思います。
アイデアログに来て変わったのは、売り上げや事業の数字が一気に「自分ごと」になったことですね。組織の規模が小さいぶん、自分のコードや判断がプロダクトの質に直接つながっていく。それは正直、最初は慣れない感覚でしたが、今はその手触りがエンジニアとして一番の醍醐味だと感じています。
「会社に守られている」から「自分が事業を動かしている」へ。その意識の変化が、技術への向き合い方まで変えてくれた気がします。

4. 大手で培った「型」を、ベンチャーの武器に変える
──マイナビで培った「型」や「視座」の中で、アイデアログでも通用したことは何ですか?
プロジェクトの推進力ですね。マイナビは組織が縦割りになっている分、関係者の数も多い。一つの機能を動かすだけでも、複数の部署を横断して合意を取りながら前に進めていく必要がありました。そこで鍛えられたのが、多くの関係者を巻き込みながらプロジェクトを前進させる力です。
あの環境で培った「誰を・いつ・どう巻き込むか」という感覚は、今も確実に活きていると感じます。
それともう一つ。マイナビ時代はプロダクトコードの開発こそベンダーに依頼していましたが、それ以外のサービスに関わる領域は広く担当していました。要件定義、仕様整理、関係者調整、スケジュール管理など。おかげで今、エンジニアとしてコードを書きながらも、ビジネス側の話題にもだいたいついていける。その「幅」は、大手時代に積み上げたものだと思っています。
5. 大手マイナビの安定よりも、挑戦できないリスクを恐れた。
──周囲からは「もったいない」と言われませんでしたか? その声をどう振り切ったのでしょうか。
実は、そういう声はほとんどなかったです。マイナビ時代の仲間も背中を押してくれた人が多かったです。
自分自身も、「もったいない」という感覚はまったくなかったです。それよりも頭にあったのは、挑戦しないことへのリスクでした。
私がずっと目指していたのは、プロジェクトの全工程を自分の手で動かせるエンジニアになること。マイナビでの環境は整っていたし、仲間にも恵まれていた。ですが、その環境にいる限り、自分の理想とするエンジニアに近づけないということも分かっていました。
安定した場所にとどまって成長が止まることの方が、よほどリスクだと感じていました。だからこそ、迷いよりも先に確信がありました。
6. 技術で、関わる全員を「ファン」にする
──木村さんが今後、アイデアログというフィールドでどのようになりたいか聞かせてください。
「言われたものを作るエンジニア」ではなく、技術で事業の可能性を広げていける存在でありたいと思っています。
現在私が担当しているサービスの「スペなび」には、スペースを探す利用者、スペースを掲載する施設オーナー、そしてそれを支えるアイデアログのメンバーという三者がいます。自分の書いたコードが、その三者それぞれにとっての「使いやすさ」「集客の手応え」「開発の誇り」につながっていく。そういう連鎖を意識しながら、プロダクトを育てていきたいです。
技術面では、今はフロントエンドエンジニアとしての軸を中心に置きながら、バックエンドやインフラの領域にも踏み込んでいます。サービス全体を自分の目で見渡せるエンジニアになることで、より本質的な課題解決ができると感じています。
利用者が「また使いたい」と思い、掲載者が「ここに掲載して良かった」と感じ、チームが「このサービスを作っていて誇らしい」と思える──そんなプロダクトを技術の力で実現していくことが、今の自分のいちばんの目標です。

髙橋来実
バリ島で生まれ、湘南・茅ヶ崎の海風を受けて育つ。 学生時代のインターンからアイデアログの門を叩き、そのまま新卒入社。 現在は「LPクラフト」のコンサルタントとして、マーケティング視点でお客さまの事業成長を支援。2000年生まれらしいフレッシュな感性と、現場で磨いたコンサル力を武器に、読み手の心に届く記事を執筆している。
